ランチタイムでの議論会

 

私が欧州の大学に留学時の思い出話。

 

授業と授業の間にランチタイムがあると、

クラスメイト達とだいたい10人から15人くらい

で、一つのテーブルを囲んでランチするんだ

けど、学食だったり、外のレストランだったり

その時のメンバーによって場所はいろいろ

なんだけど。

時々、先生も一緒にランチしたりもする。

だいたいテラスのあるレストランや学食の

テラス席だったりする。

長いテーブルに対面式で6対6人とか、

プラスお誕生日席にひとりづつとかって

感じ。

そうすると、何が始まるかって、

議論ですよ。

討論というのか、いや、全員参加の

あるテーマに対して意見を言っていくんだけど、

前の人の意見に対して、その内容にさらに

付け足していって話をうまく膨らませなけ

ればならない、というか、誰もそのテーマに

ついて良し悪しを問うてるわけではなく、

さらに、個人的な言いっぱなしの意見を

聞きたいわけではなくて、建設的かつ、

発展的で協力的な会話が必要なわけです。

これ、ランチで前菜からメインのコース

料理を食べてる間にやるんですけど、

みんなすごくうまいのです、会話が。

政治経済の話から国際情勢や民族紛争やら

時事問題や社会問題などトレンドを議論を

約1時間でしっかりまとめて、有意義な会話

とやらを楽しむのです。

 

これ、なぜか私の場合なので、皆さんが

これをやっていたかはわかりません。

 

しかも、私はクラスに日本人ひとりで、

アジア系もあまりいなかったので、

欧米人たちや欧米在住のアラブ人、アフリカ人

とか、南米人とかがメンバーなんですけど、

私は最初この議論についていけなくて、

食べるのに必死でした。だって食べるのも、

欧米人たち、欧米ナイズドされた彼らは

テーブルマナーも美しくて、箸文化の私は

冷や汗ものでした。食べ方、食べるタイミング

など、見様見真似で場数をこなしてなんとか

ついていけるようになるのにしばらくかかり

ましたが、肝心な議論の参加、自分もいい

タイミングで前の会話に追加して

するっと入り込むのは本当に難しい。

 

もう、その時は修行そのものでした。

 

でも、それを見ていたメンバー達は、

私を励ましてくれて、いつもフォローして

くれました。

文化の違うところに入っていくのには

勇気がいります。

でも、それは誰かも同じ思いを持ってくれ

たりして、助けてくれます。

一つ一つの積み重ねが本当に大切で、

諦めなくて良かったと思ったものでした。

 

彼らはいつしか、クラス唯一の日本人の私

に、日本の事を教えてほしいと言ってくれて

とても興味を持っていろんな事を気にかけて

くれました。

 

私は日本で就職氷河期世代で就職して、

新入社員の時からオーバーワークしてきて、

それが当たり前になっていて、厳しい環境でも

同じ氷河期世代は皆、我慢して仕事に戦って

耐えてきたので、ちょっとやそっとのことでは

動じない神経の太さになっていることや、

理不尽なほど責任を押し付けられて、逃げら

れずに身体を壊しながら働いていた同僚達も

いた事など、それがあって、私はその時に

仕事を離れて海外に勉強に来た事などを

自然と話していたら、

彼らから「もうそんなに頑張らなくていい、

今までよく頑張ったよ。」って言われて、

日本の問題に彼らが意識を向けてくれて、

何か我々に出来ることはないか?って

言ってくれて、私の今後の人生のステップアップ

についてや、もっと世界に日本の問題を発信

すべきでは?とか様々な議論もしてくれました。

 

彼らも自分の母国が優れているという訳では

ないけど、日本の問題と似たような事は

抱えていると言っていた。ジェネレーション

ギャップとか、ゆとり世代とかは似てるとか

言っていた人もいた。

 

あれから、10年以上経った今、

まだ交流は続いている仲間たちから、

今でも、私のライフ、ビジネス、ハピネスに

ついて、どうしてる?良くなった?と

心配のような気にかけて連絡くれている。

 

離れていても忘れてないし、今でも

心は共にあるよ、って。

 

そして、今は皆それぞれ忙しく、人生を

過ごしているけれど、

この荒れた世界の津々浦々で皆、格闘しながら

責任を果たして世の中を良くしたいと

奔走している。

 

お互い頑張ろうね!頑張ろうぜ!と

皆、心は燃えていた。

 

あの時のランチ議論会の時のように

白熱したエネルギーはまだまだ健在でした。

 

私も頑張らなきゃ、この先彼らに合わす顔が

ないから、私もまだまだ自分を信じて

やってみようと思う。なんちゃって。