私のコロナ闘病記 (後日談)

ちょっと、思い出すのを休憩して、

今現在の体調について、雑記してみます。

 

今、やっと長い後遺症?とやらから解放

されたのではないか?と思っています。

でも、安心できないところもあります。

 

コロナに感染して、一ヶ月ほど経った時、

突如として現れた、

胸痛、胸痛、もう一度言います、(しつこい)

胸痛が起こりまして、

左の胸の下寄り、肺なのか、心臓なのか、

その辺りがとにかく痛い。

しかも、息を吸うだけでも痛い。

じっとしてるしかない。

寝る時は寝返りも打てない。

寝返りを打とうとすると目が覚める。

とにかく、仰向けで微動だにせずに寝るしかない。

左の胸の下寄りから中心も痛む。

胸痛は身体がバキバキとヒビが入るような痛み。

または、圧迫されるように外から強い押す力が

かかるような痛み。

 

これが四六時中。

 

ある日、気づいたら、あれ?胸が痛いかも、と

思い、そのうちだんだんと痛みが強くなり、

カロナールを飲んで痛みを誤魔化していた。

 

でも、くしゃみをするときは本当に左胸を押さえて

なるべく衝撃を与えないように小さくくしゃみ

するが、とにかく痛い。

 

コロナに感染して1ヶ月近くになろうとしていた

この時。

徐々に回復していた気がしていたのに、

胸痛がはじまった。

 

すぐに収まればいいなと淡い期待を持ったが、

そんな私の願いは届かなかったさ。

日々悪化していくんですわ。

 

2、3日すると、痛みはもうないことがなく、

寝込んでしまった。

起きていられない。横になっていたいと思うので、

寝ていた。

仕事は自営なので、自分で休みを調整できるから

良かったけれど、まさか胸痛で1ヶ月も寝込むとは

思わなかった。

 

それと、胸痛で寝込みだしてから、

なんとか病院にいきたいと思った。

このままだと治らないんじゃないかと思ったので、

なんとかしたかった。

 

でも、、、病院に行けなかった。

起きて病院に行く気力も体力もなかった。

 

胸痛が2週間くらい続いた頃が一番気持ちが

落ち込んでいた。

もう治らないんじゃないかとか思ったし、

突然胸痛で倒れて死んでしまったらどうしようと

不安になった。もう普通に戻れなかったら

どうしようと落ち込んだ。

 

コロナ感染して当初から2週間くらいがひどい

症状にみまわれていたけれど、

その時の精神状態よりも胸痛の時の精神状態の

ほうが酷かった。

絶望していた感じ。

 

後遺症外来とか調べたりしてみたけど、

躊躇して行けなかった。

後遺症なのか確信もないし、もしかしたら

明日には収まるかもしれないし、とか思って

少しづつ日常生活を送れるように動いてみたが、

動いた翌日はまた寝込むし、2、3日寝込むことも

あった。

 

生きていく自信を喪失していた。

 

そんでもって、今現在なんですけど、

胸痛はなくなりました!

(たぶんね、もう2度と胸痛が起こって

ほしくない。頼む。)

 

胸痛発症から1ヶ月ほどしたある日、

あれ?胸痛が和らいだような気がして、

あれ?あれ?と思うがままに、痛みを感じなく

なっていった。

痛みがなくなって3日位してから、

やったー!!痛みがなくなった!!と

涙が出そうになりましたが、

ひとりで歓喜してました。

 

精神的につらかったことも解放されたような

思いになりましたが、

どうも油断ならないのが今回のコロナ感染での

病状でした。

 

さらに、胸痛がなくなったら次は皮膚の肌荒れ

のようなものが出ました。

もう、肌荒れなら許容しますよ、と思いましたね。

 

 

私のコロナ闘病記④

そやった、コロナ闘病記の続きや。

忘れておりましたわ!(得意技)

 

前回はクリニックから帰宅して、

隔離しなきゃというところで終わっていました。

 

これ、当時のことを思い出すの、結構面倒い

んですよねぇ〜、ナンツッテ〜。愚痴。

 

とにかく、帰宅した頃は、

The 喉の痛み 激痛MAX!!って感じで、

唾も飲めん。いや、飲もうと思えばやれるが、

いくぞ!ヨイショー!ってくらいの思い切り

が必要。ただ唾を飲むだけなのに、一回一回

この思い切りが必要って、人生初か2度目か

くらいに未知なる体験だったわけです。

 

唾を飲み込んだ瞬間に「うっ、イッターい!!」

とヴェーと喉を抑えてしばらく悶えること

約5秒。これ、大げさではないです。

本当に毎回痛くて、気絶しそうなくらいでした。

 

なもんで、極力唾を吐き出していました。

寝ながらティッシュに唾を吐き出すことを

ずっとやっていましてね、でも水分を取らないと

脱水症状になりそうですから、

時よりポカリを摂取するんですけど、

その度に喉の激痛を堪え、痛い、痛いと

それだけしか思うことはありませんでしたね。

 

何も考えられない、せめて痛みを取るために

薬を飲むしかない。耳鼻科で処方してもらった

薬をちゃんと飲むしかない。

それだけしかできない。

 

それと、龍角散のどあめが少しカバンの中に

残っていたので、それをひたすら舐めて

寝ました。

 

ただ寝て、唾を吐き出し、ポカリをたまに飲み、

痛みに悶えて、薬を飲む。

当然携帯なんか見る余裕などない。

 

私はこの時、悟りました。

 

今の私に必要なものは、

・ポカリ

・薬

ティッシュ

・ビニール袋

・のど飴

・体温計

以上。

 

ビニール袋は唾を吐き出したティッシュ

捨てるために枕元に置いておくと便利でした。

 

もの凄い勢いでティッシュのゴミの量が

山盛りになるので、ゴミ箱に収まりきれず。

それに、コロナは感染症ですから、

ゴミもちゃんと密閉したりしないといかんかな

と思いまして、ビニール袋は重宝しました。

 

それと、この頃には徐々に

痰と鼻水(色のついたもの)が出始めました。

これがね、私に追い打ちをかけましたね。

もともと持病にアレルギー性鼻炎があるので、

鼻炎はもう長い付き合いですけど、

この喉痛とセットで鼻もきたので、

もうげんなりですわ。

ティッシュは1日で一箱なくなりましたね。

 

痰が喉に絡んで、それをティッシュに吐き出す

ことをしないと、本当に呼吸困難になりかけ

ますので本当キツかったです。

 

が、がが、ガァー、(??)

残念なお知らせ、とでも言うのか、

この日に「咳」が出始めました。

これは、私にとっては、不運を超えた

壮絶なる地獄の時となったわけです。

しかも、この咳、とまらんのです。

痰が絡んでいるのもあり、この咳で

本気の呼吸困難を起こすわけです!

 

過去に、大風邪を引いたことがあり、

その時も同じような咳が出たことありました。

その時も咳で困難困難になり、その後に

病院でレントゲンを撮ったら肺が真っ白に。

肺炎です、って言われまして、

そっか、あんなことになるのが肺炎かぁ。

と理解したわけですが、

 

今回の状態も、昔の肺炎の時と同じ状態の

咳からの呼吸困難が3倍になって出ました。

私は咳が止まらず、息もできず、嗚咽で息も

止まりかけ、気絶しそうになること、

一晩で3回はありました。

本気で、死ぬかもしれん、このままじゃ

いけん。

と思いましたさ。

 

何度も救急車を呼んだ方がいいんじゃないか

と頭によぎりました。

そのくらい、辛かったんです。

 

誰だよ、コロナは風邪と一緒って言った奴!

どっかの誰かがSNSで呟いたの見たぞ!

私はしょっちゅう風邪をひくけど、

風邪の時はこんなに酷くないぞ。

どーいうこと?!

願わくば、風邪と一緒程度の症状で収まって

欲しかったですが、

なんなんですか、私の罹った型は

酷いやつだったってこと?!

 

誰だか知らないけどさ、

このヤロー、許さん!と咳をしながら

思いましたとさ。

 

さらに、悲劇は続く。。もういや。

思い出すのもいやになる。

 

 

 

私の年末の闘病記録③

②のつづき、

 

自宅へ戻ってきて、同居人に結果を伝えた。

同居人は即座に私から離れて、柱の影から

私に向かって話しかけた。

「昨日やった検査キット、あてにならなかったね。」って言われ、

 

そう、そうなんですよ、私は何故に

クリニックに、

インフルか否かの決着をつけに行ったかって

いうと、前日の朝に自宅に常備していた

検査キットを使って、陰性だったからです。

 

私は検査キットの使い方がうまくできて

いなかったのでしょう。それか、前日の

時点では陽性ではなかったのかもですが、

まあ、むっとしましたよね。誰にって、

同居人や自分や病院ではありませんよ!

そんな失礼な人間に落ちぶれちゃいません。

ムッとした相手は、検査キットと国にです。笑?

 

そもそも、検査キットをちゃんとできる人

って老若男女全方位OKではないじゃない?

それはどう思ってるんですかね。

 

あれって、どうなん?って信用して良いの?

って思うし、まあだいぶ前から思ってました

けど、とりあえずの“やってるよ”感を出すための

パフォーマンスなんでしょ。責任回避の手段。

お上手!(褒めてない)

 

ま、愚痴を失礼おばいたしました。

 

私は体調も悪くて怒る気力も失せていて、

このさい検査キットに文句言ってる場合では

なかったので、ムッとしたのは一瞬で、

すぐ忘れました。

 

クリニックの先生からも、「検査キットの

使い方が上手くできてなくてなかった可能性

もありますからね」と言われ、

ごもっとも!と思いました。

だって使い慣れてませんもん〜。

 

ちなみに、耳鼻科の先生の綿棒をぐりぐり

鼻に入れるの、さすが耳鼻科!って思うくらい

痛くなくちゃんと奥までぐりぐりしてくれて

とてもお上手!(本音)

先生のやり方、素人には無理やないですか?って

思ったし、今度はもっと奥まで綿棒ぐりぐり

やらなきゃなって勉強になりました。

ああ、これが正解だよね!と感動しましたさ。

 

私の年末の闘病記録②

①のつづき、

 

39.2度に観念して、とにかくなんか食べれそう

なものと水分をとり、ロキソニンを飲んだ。

 

夜がきて、深夜、また体温計。もはや魂ぬけてる。

38.6度!よし(魂復活)、このままお願いします。

寝た。

 

(うん?なんかこれ体温計を測る何かゲームでも

やってるかのようだな。一人ゲームね。)

 

発症2日目

朝になり、また体温計。無の境地で測る。

37.8度!!!よっしゃー!ついに、キター!

私、頑張りました!涙 頑張ってます!、

まだ頑張り続けますん。と誓った。

しかし、この時すでに喉の激痛が始まった

のでした。

 

そして、近所の発熱外来をネットで検索。

耳鼻科に電話して予約してから行った。

お昼前。

 

もう、熱は下がってきてるし、軽い足取り。

徒歩3分の距離のクリニック。

えっ?足が重い、全然進まねぇよぉ〜。

頑張って足を前に出す私。必死な女さ。

結局、10分くらいかかった。ひと仕事終わった

くらい汗かいたし、ゆでタコのようになってた。

 

ま、前日39.4度まで出たし、確かにあれは

身体に打撃をかなりくらったはずだしね。

油断は禁物ですな、と。(いまさらジロー)

 

発熱外来って、普通の待合室には入れない

から、外で待つと事前に説明を受けていた

けど、この時期の寒空の下、30分以上待って

いたら本当にキツくて、もう帰ろうかなって

めげ始めた。でも、仕方ないね。がんばろ。

ダンゴムシのようになって待ってました。

 

やっと、自分の番がきて、検査してもらえる

ことに。

防護服の先生が来て、綿棒を鼻に。

しばしお待ちを、ということで、

私は、「よし!決着の時だ!はっきりさせ

ようじゃないか!私の身体よ!」と、

心で呟く。

私は、インフルか、否か、それしか

考えていなかった。

 

しばらくして、先生がやってきた!

「コロナ陽性です!」と。

私、マスクしてましたけどね、衝撃結果に

顎が外れるかもしれんくらい、口を開いて、

「ひぇぇ〜!」と言ってしまいましたよっ。

 

あの噂に聞いてたコロナですか?って

ついに自分ごとになりまして、

本当にコロナってあったんだなぁーなんて

呑気に思いつつも、

あ、これヤバいやつじゃないの?って

思ったのでした。

 

私は先生に、「喉がとても痛いので、

喉の痛み止めの薬ください。涙目」と

お願いしました。

 

先生は、

「コロナなんでね、薬一式出しときますから」

と。

 

コロナかぁ…となんか疲れたなぁと、

戦う気力を喪失しかけましたね。

 

ん?つうことは、私は隔離しなきゃいかんよね?

と思いまして、

というか、別に外に出て行く予定もありません

でしたし、というかー、こんな体力消耗してる

のに出ていけんわ!怒り、的な。という思いも

ありんして、

今後私はどうしたらいいのか、こりゃまた

発熱相談センター?とかそんなテレフォン

相談をしてみようと思いました。

 

薬屋さんへ寄り自宅に歩いて帰って、同居人に

「ごめん!コロナです!」と伝えて、

新たな、隔離、という問題に立ち向かう

ことになりました。

 

 

私の年末の闘病記録①

なんと、もう2月になってしまった。(衝撃)

 

以下、個人の感想です。

 

昨年12月にコロナに感染しまして、

ものすごーく辛く苦しい日々となりました。

こんなにも酷い症状が次々と発症して、

酷い症状3日目くらいに、

「このままこの症状が続いたら死ぬんじゃないか?」と恐怖に苛まれるほどでした。

 

とにかくある日、

「あれ?喉がちょっと痛いかも…」と思い、

ひとまず葛根湯を飲みまして、

お風呂に入りました(←コレがダメ)らば、

深夜に身体が熱くて体温計で測ったら、

39.4度でした。

「きょえ〜出てしまった(焦)」と一言。

 

多分、39.0度以上が出たのは、十数年ぶり、

人生で何回目?多分5回以内であろう。

こんな高熱でも一応トイレには歩いていける

んだなぁと、ちょっとした驚きでした。

 

で、汗かいたのでパジャマを着替えて、

カロナールを飲んでみましたよ。

 

で、4時間後、また熱くて体温計で測ると、

39.2度でした。

「えぇ??カロナールはまだ効かないのか?

おいおい。」ということで、

 

くっそー、ロキソニンのんでやるさ!と

朝ご飯を食べた後、ロキソニン服用し、

とにかく、ポカリスエットを枕元に置いて寝る。

 

そして、また熱くて体温計。38.8度だとよ。

あのさ、ロキソニンも効いてなくね?って

思いましたよ。下がり方が僅かすぎなくない?

お願いだから効いてくださいよ、と願いながら

また寝る。

 

そして、昼過ぎにまた体温計。

38.4度だと。!? とにかく、もう文句いわん。

だから、このまま微小でも下がっていこう!

私の細胞がんばれ!!と励ました。

 

そして、夜になった。体温計に祈りを捧げた。

39.2度!!おーい!なにやってますか?私の

細胞よ!空気読んで普通は下がっててくれる

ところじゃん!涙

 

とにかく、これは、もういい加減自力は無理

だと悟った。翌日、病院に行くしかないな、

って思った。

 

同居人は基礎疾患バリバリなもので、

風邪でもうつすわけにいかんのです。

ま、さ、か、コロナじゃないよな?と

自分の身体と細胞に向けて脅してみた。

インフルだろうと私は思っていたのだよ。

そう思いたかったのです。涙

 

 

 

 

2023年も終わるか、

あら? このブログの記事投稿のボタンが

表示されなくなって、

新しい記事を書けないかと思って困った。

 

なんだか、ややこしいわね。

さて、また一年の年の瀬がやってきました。

月日の経過が早くて、ついていけませんわ。

何はともあれ、今年も生き抜いたわけです。

それはそれは良かった。

無事に一年を締めくくれそうです。 (でも、最近は不調でカロナールに頼って ばっかり。)

 

私の仲良しのBoyが、10年も友達やってきて

今も変わらず、元気で素直で一生懸命に

自分の生きる道を探して冒険してる姿を

見て、私も昔、元気でいろいろ夢を描いて

駆け巡っていた頃を忘れずに、これからも

楽しく生きていこうと思った次第です。

あ、もう彼は少年ではなく、一人前の男性な

んだけど、 私にとってはいつまでも可愛いBoyだよ。

私は今後の目標として、

彼と今度は逃げずにちゃんと英語と

ヨーロピアン言語でべらんべらんに話すよ。

私の方がややヨーロピアン言語は話せたのに、

もうすっかり追い抜かれて数年経ってしまって、

私はここ数年、ヨーロピアン言語の仲間同士の

コミュニティに透明人間化していて、逃げてきた

けど、来年は頑張る!!!!(今、決意!)

今度こそ彼らをぜひ日本にご招待したいし、

一緒に街ブラしたいし!!

きっと、日本を気に入ってくれると思う。

それまでに、私は語学を磨き、

この国はきっちりと方向性を正しい道へ

修正して、キレイにしなければならないなわね!

みんながもっている良心を

見せてやりましょうよ、ね。

私はただ、語学を頑張ります。

忙しくなりそう!ワクワクする!

2024年へ、レッツラゴー!

ご協力くださいました多くの皆様に

心より御礼申し上げます。

来年も頑張りましょう!! 宜しくお願い致します。

天使の涙

私が聞いた話。

(意味深にデフォルメしとこう。)

 

昨年、天使と言われて皆からとても可愛がられ

ていた人が、ある組織的な者達から嫌がらせを

受けて、ずっと一人で戦ってきて、長い戦いは

天使に無念の涙を流させた。

 

それを見てきた天使の仲間やファンが、

「絶対に許さない、天使を泣かせたのは、

絶対に許してはいけない」と心を一つにした。

 

その日から、天使の知らないところで、

援護者達はこの世のありとあらゆるところの

実力者達、権力者達に、天使に悪さした悪党を

1匹残らず始末しろと号令をかけた。

 

天使が心から笑顔になれるよう、

1日でも早く元気を取り戻してあげたい。

そう皆んな思っていた。

 

そしたら、なんと、天使の援護者がどんどん

広がり、天使は世界中にもファンがいたので、

世界中から援護者が続出。

 

もう、悪党の全てを手中に収めてしまった、

世界の援護者達が。

でも、まだ天使の心は晴れない。

最後に泣かした連中に罪を償わせるまでは、

絶対終わらせないと援護者達は息巻いている。

 

そして、天使が気づいた。最近。

「あれ?なんで世の中がこんなに動いているんだ

ろうか?」と。

 

私は天使に言った。

「貴女があの日流した無念の涙がそろそろ

報われる時がきてるんじゃない?」

 

天使が言った、

「私はあの時のこと、一生どんなことがあって

も忘れない。私は私の力でいつか必ず決着

つけるから。まだ終わってないの。

私は命懸けでこのことに戦っているの。

ひとりでも戦いつづけるわ!」

 

私は心の中で、貴女はみんなに守られている

のに、ひとりじゃないのにね、って思った。

 

 

天使のファンや援護者達はそれを聞いて、

いっそうパワーがみなぎってきたそうで、

まだまだやるぞ!天使と共に戦うぞ!と

燃えちゃっているんですわ、今。

天使から、「ありがとう」という言葉を

聞きたいがために動いてる。

 

そういうわけで、まだ悪の成敗は

これからなんでしょうね。

悪党は眠れませんねぇぇ、いや、まもなく

永遠の眠りにつけるのか。そういうことか。

 

 

おーほっほ。これ、フィクションという

ことにしときましょうかね。

 

世の中ってこわーい。

 

浄化中。

 

 

ランチタイムでの議論会

 

私が欧州の大学に留学時の思い出話。

 

授業と授業の間にランチタイムがあると、

クラスメイト達とだいたい10人から15人くらい

で、一つのテーブルを囲んでランチするんだ

けど、学食だったり、外のレストランだったり

その時のメンバーによって場所はいろいろ

なんだけど。

時々、先生も一緒にランチしたりもする。

だいたいテラスのあるレストランや学食の

テラス席だったりする。

長いテーブルに対面式で6対6人とか、

プラスお誕生日席にひとりづつとかって

感じ。

そうすると、何が始まるかって、

議論ですよ。

討論というのか、いや、全員参加の

あるテーマに対して意見を言っていくんだけど、

前の人の意見に対して、その内容にさらに

付け足していって話をうまく膨らませなけ

ればならない、というか、誰もそのテーマに

ついて良し悪しを問うてるわけではなく、

さらに、個人的な言いっぱなしの意見を

聞きたいわけではなくて、建設的かつ、

発展的で協力的な会話が必要なわけです。

これ、ランチで前菜からメインのコース

料理を食べてる間にやるんですけど、

みんなすごくうまいのです、会話が。

政治経済の話から国際情勢や民族紛争やら

時事問題や社会問題などトレンドを議論を

約1時間でしっかりまとめて、有意義な会話

とやらを楽しむのです。

 

これ、なぜか私の場合なので、皆さんが

これをやっていたかはわかりません。

 

しかも、私はクラスに日本人ひとりで、

アジア系もあまりいなかったので、

欧米人たちや欧米在住のアラブ人、アフリカ人

とか、南米人とかがメンバーなんですけど、

私は最初この議論についていけなくて、

食べるのに必死でした。だって食べるのも、

欧米人たち、欧米ナイズドされた彼らは

テーブルマナーも美しくて、箸文化の私は

冷や汗ものでした。食べ方、食べるタイミング

など、見様見真似で場数をこなしてなんとか

ついていけるようになるのにしばらくかかり

ましたが、肝心な議論の参加、自分もいい

タイミングで前の会話に追加して

するっと入り込むのは本当に難しい。

 

もう、その時は修行そのものでした。

 

でも、それを見ていたメンバー達は、

私を励ましてくれて、いつもフォローして

くれました。

文化の違うところに入っていくのには

勇気がいります。

でも、それは誰かも同じ思いを持ってくれ

たりして、助けてくれます。

一つ一つの積み重ねが本当に大切で、

諦めなくて良かったと思ったものでした。

 

彼らはいつしか、クラス唯一の日本人の私

に、日本の事を教えてほしいと言ってくれて

とても興味を持っていろんな事を気にかけて

くれました。

 

私は日本で就職氷河期世代で就職して、

新入社員の時からオーバーワークしてきて、

それが当たり前になっていて、厳しい環境でも

同じ氷河期世代は皆、我慢して仕事に戦って

耐えてきたので、ちょっとやそっとのことでは

動じない神経の太さになっていることや、

理不尽なほど責任を押し付けられて、逃げら

れずに身体を壊しながら働いていた同僚達も

いた事など、それがあって、私はその時に

仕事を離れて海外に勉強に来た事などを

自然と話していたら、

彼らから「もうそんなに頑張らなくていい、

今までよく頑張ったよ。」って言われて、

日本の問題に彼らが意識を向けてくれて、

何か我々に出来ることはないか?って

言ってくれて、私の今後の人生のステップアップ

についてや、もっと世界に日本の問題を発信

すべきでは?とか様々な議論もしてくれました。

 

彼らも自分の母国が優れているという訳では

ないけど、日本の問題と似たような事は

抱えていると言っていた。ジェネレーション

ギャップとか、ゆとり世代とかは似てるとか

言っていた人もいた。

 

あれから、10年以上経った今、

まだ交流は続いている仲間たちから、

今でも、私のライフ、ビジネス、ハピネスに

ついて、どうしてる?良くなった?と

心配のような気にかけて連絡くれている。

 

離れていても忘れてないし、今でも

心は共にあるよ、って。

 

そして、今は皆それぞれ忙しく、人生を

過ごしているけれど、

この荒れた世界の津々浦々で皆、格闘しながら

責任を果たして世の中を良くしたいと

奔走している。

 

お互い頑張ろうね!頑張ろうぜ!と

皆、心は燃えていた。

 

あの時のランチ議論会の時のように

白熱したエネルギーはまだまだ健在でした。

 

私も頑張らなきゃ、この先彼らに合わす顔が

ないから、私もまだまだ自分を信じて

やってみようと思う。なんちゃって。

働くって何?

 

私の友人達(アジア系を除く外国人)は

何年大学で勉強するの?って聞くと

「さぁ、わからない」と言う。

「だいたい8年くらいかな」とか言う。

 

は?

私は意味がわからなかった。

 

ちなみに、彼らの中の何人かは、

そもそも自国の大学へ進学せずに

米国のアイビーリーグの大学に進み、

修士課程まで行き、その後他国の大学に

留学して博士課程に進むという、

そういう人も多い。

 

または、自国の大学を卒業してから

アイビーリーグの大学院で修士を取り、

さらに博士課程にも行くとか、いろいろ。

 

だから、8年くらいかかるそう。

 

で、(私は冷めた目で聞く)

その学費は誰が払うのよ??と彼らに聞くと、

「えっ、親じゃない?(親でしょ当たり前でしょ。)

」って言うから、

 

というか、君らは20代のほとんどの時間を

勉強して過ごすんだね?働かないのね?

って私が言うと、

「えっ、何で働かなきゃいけないの?」って言う。

質問した私が変みたいな目をする。

 

そして彼らが私に言う、

「専門的な知識がなくて働けるの?」と。

 

ごもっともな質問ですね。

 

私は彼らに言う。

日本という国は、大学(や高校など)を卒業したら

働かなきゃならないの!だから働くの!

って言ったら、

 

彼らは私に、

義務なのか?と聞くので、

働かなきゃ世間の目が厳しいし、

税金を納めなきゃならないし、

働かなきゃ生活できない!

って言ったら、

 

彼らが私に言った。

「かわいそう…」と。

 

は?

私は日本で働いてきて一度も働いてかわいそう

と言われたことないぞ、

ま、私の勤務先はブラックだから

他社勤務の人達と飲み会でどっちがブラックか

競い合うことはあったけど、

まじまじとかわいそうと言われたことがなかった。

 

これ、10年前の話。

 

で、その後も海外の友人達と交流は

続いていて、新しい仲間もできたりするけど、

日本人の働き方は異常、おかしい、って

言ってる。

それで、日本では働きたくないって、

時々、日本の大学や企業からお誘いが来る

らしいけど、お断りしてるって言ってた。

 

住みやすい国だと思うけど、

人を犠牲にして労働力を確保しようとする

考え方は時代錯誤もいいところで、

それ、ルール違反だよね?って。

自分もそこで犠牲になりたくないし、

ルール違反に加担したくないから、

日本には行かないって。

それに、賃金、報酬が安いから無理って。

(俺の価値をバカにしてるのか!?って

思ったよ、そのオファー見て。と苦笑い

しながら言ってた。)

 

はい、ごもっともです。

 

なので、どんどん世界の先進国から

遠のいていく日本。

 

そして、あの若き医師の過剰労働の問題、

日本だけで話を封じ込められると思ってる

老人会の皆様、

お終いですよ。

 

昔々、ある基準が日本に上陸しました。

それに従わなければ会社は存続できなくなりまして、

その基準を取り入れることになりました。

 

あら不思議、真っ先に切られたのは

経営陣でした。

さらに、新たな株主様が襲来しまして、

会社は外国企業になってしまいました。

めでたしめでたし、

 

と言いたいところですが、

めでたくないのが、

一般の従業員は待遇が改善されることもなく、

さらに新しい基準に合わせた業務を覚えなくて

はならなくて、ベテラン系(仕事しないベテラン)

はリストラ部屋という過酷な場所に追いやられ、

退職。

自己資本比率は上がったものの、

リストラが進んでも新規の若手は入って来ず、

末端の従業員はさらに仕事が増え、疲弊し、

退職者続出。

ま、そういう会社、今どうなってると思いますか?

 

消滅ですよ。

 

だから、皆んなが不幸になるの。

 

そろそろ、お勉強された方が良さそうですよ。

人材を大切に育てる方法を。

 

間違っても売り逃げしようなどと浅はかな

知恵で逃げ切るのは、その後の運命をたくさん

見てきた私からしても、不幸しかないので、

よくお考えくださいね。

 

それと、私は何故か外国人の友人達から、

いろいろと聞かれるので、嘘偽りなく

事実を述べてきました。

 

そういうの、カード切られたら

ああ怖い〜〜!なんちゃってー。笑

 

そろそろ真っ当な社会になることを

願ってます!

 

 

 

 

 

まだまだこれからよ!

約10年前に、海外勢から

「貴女をお支えします」と言われた。

 

私は、なんで?なにが?と全く意味が

わからなかった。

 

ある日突然、私の前に現れた人達は

私のことをずっと前から知っているかのよう

だった。

 

それが日に日に増えてくる。

国籍も人種も性別も様々で、

ただ共通していることは、

正義のルールが一致してること、

彼らは正義のために仕事をしていた。

 

お金で動くような人たちではない。

 

 

彼らは私に、

「これからは貴女をお支えすることが

私達の使命。どこまでもお供します。」

と英語で言った。

 

そして、

「私達は世界中に散らばっている。

貴女もこれから私達と世界で一緒に

仕事をしていくことになる。」と言った。

 

私は全く意味がわからなかった。

何を言ってるのか、ほんとーにわからない!

 

でも、昨年、その謎が私の中で解けた。

 

そしたら、

昨年末に、今度は外国人達じゃなくて、

日本人勢が「貴女をお支えします」と

言ってきた。

 

はぁああ???

 

なんなんですか?一体全体…⁈

 

私を支えたところで何も起こらないよ。。

 

そう思っていたところ、

昨年謎解けた海外勢の「お支え」の意味を

思い出したわけ。

 

それでね、海外勢は今も世界中で活動は

していて、悪の成敗に成功してるわけ。

スゴー。

強ー。

ほんとに有限実行してる。

 

そりゃそうさ、頭の良さが別格だもの。

ある民族のエリートもいれば、

別の民族のエリートもいる。

何故か繋がっている。

みんな世界のエリート達で、

恐ろしいほどのスーパー天才達で、

頭も良いけど、身体も鍛えてるし、

属性が突き抜けるから、何役もこなせる。

 

彼らは遺伝子が特別らしくて、

才能の天井がないみたいで、

限界を常に超えることを考えて

前へ前へ、歩みを止めない。

タフだよ。タフな天才達はどこまでも

上り詰めていくよ。

 

そんなのが世界中にいるよ。

日本人でもたまにいるけど、

圧倒的に数で負けてる。

 

それで、彼らとしては本当にただの善意で

日本を救いたいって思ってる、今。

 

私はただ生きてるだけ。

でも、彼らは存在っていう空気感を

大切にしてる。

空気清浄機みたいな人間が必要って

言ってる。

だから、私はとりあえず空気清浄機の如く

ただ自分の仕事(ただそこに存在すること)

をやっているだけ。なんともぬるい。笑

 

彼らとは基本的に、暗号みたいな、または

日本語でいうところの方言みたいな

同じ仲間にしかわからないコミュニケーション

で情報をやりとりしている。今でも。

 

だから、この先のことは仲間以外には

わからない。

 

で、教えてあげる。

 

今ある出来事の全ては、

まだ始まったばかりで、まだまだ終わりなんて

こないよ、ってこと。

 

今日もお支えしてもらって存在してる私。

 

 

ふふふ、まだまだ世界は動いていく。

 

彼らはまだ準備段階なのに、あれだけの

仕事を短期間でやってしまう。

 

そして、彼らっていうのは、少数精鋭ではない。

大勢精鋭が今注目していて、動いている。

すでにもう飲み込まれているのに、

それに気づかない、あの人達。

よく遊びで海外旅行なんていくよね。

あれを研修とか視察とか外交とか言ったら

日本国民ブチ切れるわ!バカにするな。

 

 

そして、それがどこまで余波が広がるのか

日本の自称権力者達はわからない。

だから、ほとぼりが冷めるまで黙る作戦?

でしょうけど、フフフ、

バカだからわからないんでしょうね。

 

一般の日本国民はもうみんな意見が一致してる。

日本に害を与えようとしている人を除いて、

みな、沈黙の中に意識を一つにして

然るべき時を待っている。

 

 

また、世界の強権の彼らは確実に任務を

遂行してくる。

その時にはもう手遅れ。

日本で悪事を働いた方々が逃げるならお早めに!

私ったら優しいからこんなにヒント与えて

あげちゃって、もうやんなっちゃう。笑

 

まあ、こんな戯言信じないでください。笑