助けられて生きているのループ

2021/11/23 火曜日(祝日) 晴れ


[今日のテーマ:私が見た人々]


今日は勤労感謝の日ということですが、

この祝日も働くたくさんの方がいて

社会が成り立っていることに感謝しています。


すっかり秋も深まり、もうそろそろ本格的な

冬の到来に向けて準備が必要ですね。

皆様、どうぞお身体を大事にお過ごし下さいませ。


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ここからは、今日のテーマ、

「私が見た人々」について


あ、これまた私がヨーロッパに留学していた

時のことになりますが、

私は留学して到着まもなく、3ヶ月程語学学校に

入ったのですが、その時に、私の学校には

日本人は私しかいませんでした。


クラスには北米、南米、欧州、アラブ圏、

アフリカ大陸、豪州、東南アジア、などの

方がいましたが、学校内に日本人がいない

ので、もちろんクラスにもいません。


そんなわけで、この話をその後に行く

現地の大学にて出会った日本人の方に

話したら、「なんて、ラッキーなの!」や

「羨ましい」などと言われまして、

私としては、その日本人いやアジア人の

いない環境にいた頃は、

心細くて(大袈裟に言って→)死にそうだった

ので、「代わってあげたかったよ!(怒)」と

言っていました。


その、なんていうか、言葉に不自由していな

ければ、外国人の中(特に欧米人の中)での

生活は刺激的なことも多くて楽しそうと

思うのかもしれません。


しかし、私の語学力では、死活問題なわけです。

楽しむ余裕なんて全然ないんです。


でも、留学ですから、自ら望んできたわけ

だし、まあ、当たり前っちゃ当たり前なので、

何があっても自業自得なんですよね。


でも、今となってみると、

その生活の中での収穫は、

私が思っていたよりも外国の人は割と

日本人よりも(?)

「謙虚」で「律儀」で「遠慮がち」であって、

「ルールをよく守り」、「協調性がある」

ってことです。


なんか、私が学生の頃に、まだ外国に行ったこともなく、外国人にもほとんど会うこともなかった時に、

外国人ってこんな感じなのでは?と

よく言われていた、

「大胆」で「おおらか」で

「やけにフレンドリー」で「あまり遠慮しない」、「上下関係もあまり厳しくなく、タメ口」とか、

何を見てそう巷で言われていたのか

定かではありませんが、英語の教科書で

そんな感じの会話表現があったのかも

しれませんが、そのように勘違いしていました。


留学して以降実際に、私が会った外国人は、

割と神経が細やかで、普通の日本人的な(昔の)感覚と似ているというか違わない感じでしたね。


ま、私が会った人は世界中の全員と会った

わけではないので、極々一部の人ですけど、

でも、私の会ったアメリカ人ですら、

けっこう縦社会でしたよ。

上司に対しては言葉を選んで話して

いましたし、敬語的な表現を使っていたり、

相手を立てるというか、

横にいた私でさえ、

『え、アメリカ人もめっちゃ気を遣ってるじゃない、』って驚きましたし、

すごく礼儀正しいアメリカ人の高校生や

大学生の子たちと一緒に出かけたりしたけど、

私みたいな中途半端な大人のかけだしのような

人間にも、彼ら彼女ら、とっても気を遣って

くれて、きっと親の教育がいいんだろうなって

思いましたよ。なんか、すごくきちんとしてるっていうか。


比較的、アメリカ人の方々は初対面でも

印象がいいというか、自己PR力が高いというか、

シャイで堅物って人が珍しいような感じも

したので、なんとなくですが、

その辺はきっとそういう教育を受けていたり、そのように自然と身につく環境にいるのかも

しれませんね。私の想像ですけど。


欧州の方々は、おとなしくて人の話を聞く

聞き役が上手な人も多い気もしますし、

でも、アクティブな女性も多いですし、

欧州は地域や国によって個性がありますものね。

割と母国語が英語じゃない国の方も多い

ので、日本人のこの英語できない苦労を

共感してくれそうな方もけっこういて、

助かります。和むというか。


ま、日本にいてもどこにいても共通してる

のは、自分と合う人合わない人はどこにでも

いるってことですね。


さて、本題ですが、

私がその語学学校の時に、日本人は私だけの

状況の中、とにかく毎日授業についていくのに

必死で、クラスメイトが言ってることも

聞き取れないこともあるし、知らない単語が

出てくると必死で辞書ひいて、そうしてると

どんどん自分が遅れていき、ディスカッション

では、みんなの意見を聞くのがやっとで、

自分の意見を頭で組み立てるのに時間がかかり、

ついていくのが必死、そんな毎日が続いた時、

授業中にクラスメイトが私に対して、

「*子(私のこと)が全然発言していない、やる気があるのか?」

と言われ、

他の生徒さんも「*子は、この授業に不満があるのでは?」とか、

「*子は、どうして何も言わないの?ずっと黙ってばかり。このクラスが嫌なんじゃない?」

と言われまして、


私、みんなの不信そうな顔を見てとっさに

出た言葉は、

「すみません、私もたくさん言いたいことはあります。でも、私は語学力が足りなくて、言いたいことが言えません。みんなの話を聞くのが精一杯で授業についていくのがやっとの状態です。でも、このクラスで私も頑張りたいので、これからもっと毎日家で勉強してくるので、もう少し時間下さい!」と

必死な形相で訴えてしまったところ、

クラスメイト達が慌てて、

「あぁ、違うんだよ、、そんなつもりじゃないんだ。ごめんね。」

「いや、*子は言葉を理解しているのに私達と話したくないから話そうとしないのかと勘違いしちゃったよ、ごめんね。」

「そういうあなたの状況を知らず、気がつかなくてごめんね。」

などなど、即座にみんなからフォローされて、

先生からも「*子、遠慮しないで言いなさい、

今のここがわからなかったとか。黙ってたら

みんなあなたがわかっているものだと思って

しまうのよ。てっきりあなたはあまり

困った顔せずに態度にも表れていないから、

ついてきてると思っていたわよ。

それなら、もっとみんなに頼りなさい!

できないことは恥ずかしいことじゃないのよ!」と、言われて、


「(え?、だって、普通わかるよね?私全然ついていけてない雰囲気でてたよね??)

え?わかんなかった??」ってみんなに言ったら、


みんなが

「わかるわけないだろ!!!言わなきゃわからないよ!!!」

とギャンギャン言われまして、、


ついに、みんなから

「これからみんな*子と宿題一緒にやるからね。(強制)」と。


どういうこと?と私が聞くと、


みんなで大合唱

「あんた一人で宿題やっても終わらないでしょ!(怒)みんなでやるの、勉強を!(怒)」


私、「(心の雄叫び、ヒエェ)」冷汗をかく。


そして、その日から有難いことに、、

毎日授業が終わると、

誰かが、

「いくよ!」と言うと、

10名くらいで外の公園やレストランや

カフェに行き、みんなでその日の宿題を

一緒にやることになりました。


完全に義務化されてました、笑。


たまに、都合が悪くて参加できないクラスメイトがいると、

「今日はどうしても行けない、でも、

ちゃんと後で確認するから!」と言って、

夜に「ちゃんと、終わったか?わからないことあったら遠慮なくメールしなよ!」と

保護者のように確認の連絡(気遣い)

をくれる人もいました。


なんで、みんなこうも優しいのか、、

まさか、こうなるとは私も思わなかったのですが、みんな面倒見がいいというか、

親切というか、普通ほっとくよね、と私は

思ったのですが、

困ってる人を放っておけない精神がみんなに

宿っているのでしょうか?


言うまでもなく、その日から

クラスメイトだけではなく他のクラスの人

達まで、なぜか私に気さくに学校内で

話しかけてくれ、

芋づる式に知り合いが増えていきました。


え?なんか良からぬ噂でもたってるのかな?と

若干気になりましたが、

ま、クラスの結束力は強くなりましたし、

クラスが変わったり、メンバーの入れ替えが

あっても、なんだかんだこのみんなで宿題する

会は引き継がれていきました。


留学して間もない頃に受けた洗礼、

親切な外国人達による

「脱、ソロ勉」「宿題、みんなでやればすぐ終わる」

何よりも、

頑張る人を見捨てないという

みんなからの優しさでした。


今の日本でも会社でも学校でもこのような

優しさがあればいいなと願うばかりです。