損得、勝負けは私の人生の全てではないこと

2021/10/26 火曜日 晴れ


[今日のテーマ:勝負けが全てではないということ]


最近は気温が随分と下がって、秋というよりも

冬がもうすぐそこに、という気分ですね。


早いもので今年も残すところあと二ヶ月ほどで、

終わりが見えてくる今日この頃。


今年を振り返っても、大笑いするような出来事が

減っていた気もしますが、

思い残すことのないように日々楽しみたいと

思います。


朝晩の寒暖差が激しい毎日ですが、

皆様、お身体どうぞご自愛くださいませ。


————————————


ここからは、今日のテーマ、

勝負けが全てではないということ、について


ここ数年、そうですね、2010年代後半からかな、

自分の周りでも、それ以外でも、

どうも話し合いがうまくいかないケース、

そもそも当事者同士に歴然としたレベルの違い

とでもいうのか、

例えばですが、

子供と大人が争っている、

大企業と学生が争っている、

国家と個人が対立している、

など、どう考えても対等な話など不可能で、

それぞれの立場や元々持ち合わせている物が

全く違うという、本来は対立することが

双方にとって得にならない、損することが

目に見えている状態が明らかである、

そんな対立を見せられる事が多い気がします。


ひと昔前ならば、穏便に片付ける案件として

処理されていたでしょうし、

仲介する立場の人が入って、当事者同士に

諭すように働きかけていたと思います。

または、当事者の周りの人が親身になって

守ってくれたり、手助けしてくれたでしょう。


水面下、でやり取りしていたと思います。


今はそういう世話を焼いてくれる人や

損得勘定を抜きにお付き合いできる関係って

いうのが本当に少なくなってしまっている

昨今、時代なのでしょうけれども。


今は“戦わなければ損する”、

“私は絶対に間違っていないのだから、一歩も

引く必要はない”、と向かってくる物を敵と認定

して、時には自分を被害者に仕立てて、

押して引いての駆け引きをする。

それも自分の意見や考えを勝たせるために。


正々堂々の戦いに全くなってない。

ジャッジなんておりない。


そもそも、この当事者同士は何が目的なのだろうか、

ゴールは何なのか、ただ負けたくない勝ちたい、

その一心で本来の目的を見失ってしまう。


結局、勝った負けたと言ったところで、

先の長い人生の将来までその勝ちは

自分を生涯守ってくれるのだろうか。


また新たな問題や新たな環境、状況で

ほかに問題も出てこないとは言えないと思うんだけど。


そんな最中に、

今日、私はある人から言われました。

人生の大先輩である先生ですが、


『〇〇君(私の事)、勝つことが全てではないよ、

そこで終わりじゃないんだ君の人生は。

そこからが始まりなんだ。

そして、例え負けても、君の人生が負けた訳では

ないんだ。君の人生はその先も続くんだ。

負けてもまた考えればいいよ、他にも方法は

いくらでもあるのだから。

勝つ事よりももっと良い結果や良案を

得られるかもしれない。

勝ち負けにこだわらないことは先々の未来の発展に

向けては大切な考えだよ。

たとえ負けても、負けてもっと視野を広げなさい。

そこからスタートを切りなさいね。』と言われて、


ハッとしました。


私は今回の件(仕事)では絶対に勝ちたいと思って、

ちゃんと段取りと根回しをして準備して、

こちら側にしっかりとした仲介人を立てて臨んだ

つもりでした。

勝つ事が全てと思ってやってきました。


大御所から、

『君の人生はこの戦いがすべてではなく、

君の人生においてはただの一つの出来事に過ぎない、

もっと君の人生に大切なことはあるはずだよ。

もっとその先の大切なことにフォーカス当てなさ

い。』と言われて、


私はこんなに力を入れて戦わなくてもいいんだ、

とちょっと肩の力が抜けて、じんわりと

心溜めていた辛いとか苦しいとかいう

思いが癒された気がしました。


戦わなければと思って必死になっている時は、

気づかないんですよね。


人生を七、八十年近く、生きてきた

大御所先生と久々にちょっと有難くも

言葉を交わしただけですが、

さすが人を見抜く力が凄まじいですわ。

本当にありがとうございます。



とにかく、私は戦いの先にある自分の未来に

向かって一生懸命に歩いて行こうと、

思いましたとです。


勝ち負けがすべてではない。ということ。